2001/05/27


仏都会津とは


 会津盆地には盆地をとりまくように古い寺々が点在し、奈良・京都・鎌倉・平泉などとともに、わが国の五大仏都のひとつに数えられるほど仏教にまつわる話題が豊富で、仏都会津といわれている。
 仏都会津の名を生んだのは、最澄や空海の強大な論敵として日本仏教の一時期を担った徳一である。徳一は都の仏教に反対し、未開野蛮と言われたみちのく会津に恵日寺(古代会津仏教の総本山)を開いた。その頃磐梯山は病悩山とも呼ばれて魔物が住み、作物も実らず悪い病気がはやる始末に負えない土地だった。徳一はその土地に恵日寺を開き、仏法をもって魔性の者や悪疫と戦った。最初は粗末な草堂であったが、全盛時には寺領18万石、子院3,800、寺僧300、僧兵数千を擁し会津に君臨した。伊達政宗が会津攻めで焼き払ったため、今は見る影もないが、恵日寺の他に、勝常寺、柳津円蔵寺、西会津妙法寺など、今に徳一の足跡を伝えている。

勝常寺
(湯川村)
 勝常寺は大同二年(八〇七)、あるいは弘仁元年(八一〇)南都六宗の一つである法相宗を学んだ徳一上人の
開基と伝えられている。
 創建当時の建物は現存していない。
 薬師堂は、会津中央薬師堂と呼ばれ、応永五年(一三九八)の再建で和様、唐様式の手法を加えた堂である。
これ以外の建物は近世以後のものである。
 仏像は、創建当時の仏像十二躯など三十余躯あり、平安初期の仏像が一寺院に十二躯も保存されているのは
珍しいことである。
  ・国宝
    薬師如来坐像        (一躯)
    日光菩薩立像        (一躯)
    月光菩薩立像        (一躯)
  ・国指定重要文化財
    薬師堂(元講堂)      (一棟)
    十一面観音菩薩立像     (一躯)
    地蔵菩薩立像        (一躯)
    聖観音菩薩立像       (一躯)
    四天王立像         (四躯)
    地蔵菩薩立像(雨降り地蔵) (一躯)
    天部像立像(伝虚空蔵菩薩) (一躯)
  ・村指定文化財
    徳一菩薩坐像        (一躯)
    絹本着色両界曼荼羅図    (二幅)
    絹本着色真言八祖像掛軸   (八幅)
    絹本着色十二天画像掛軸   (十二幅)
    不動明王立像        (一躯)
    十二神将立像        (十二躯)
勝常寺山門 勝常寺本坊 勝常寺薬師堂
勝常寺山門 勝常寺本坊 勝常寺薬師堂
恵日寺
(磐梯町)
 恵日寺は磐梯山と号し、真言宗豊山派に属します。
古く古絵図にあり、明治初年の廃仏毀釈によって一時廃寺となりました。塔頭であった観音院のもとに法燈をうけ
つぎ明治三十七年五月寺号の官許を得、更に大正二年「磐梯山恵日寺」として堂塔の修復をし再興の緒として今
日に至っています。
 たび重なる火災や廃寺のために丈六の薬師如来像、四天皇より下賜された銅印・瑠璃尺など多くの貴重な宝物
類を散逸しました。
 しかし、現在残されている文化財の中で「白銅三鈷杵」が国重要文化財として指定され、「鉄鉢」が国重要芸術品
として認定されています。
 「絹本著色恵日寺絵図」は国重要芸術品認定・県重要文化財として指定され、往時における伽藍の盛況をしのぶ
ことができます。
 このほか「紙本墨書田歌」や「日光・月光菩薩面」「薬師如来光背化仏一具・七躯」が県の重要文化財として指定
されています。
 現恵日寺の本堂は元禄十五年(一七〇三)に建立されたもので、三百年の星霜を経た建造物です。
 廃寺にされた後に旧塔頭を元に「恵日寺」と復興しましたが、これと区別して、国指定の史跡を「慧日寺」と書くこと
にしています。
恵日寺 本堂・山門 恵日寺 仁王門 恵日寺 薬師堂
恵日寺 本堂・山門 恵日寺 仁王門 恵日寺 薬師堂
恵日寺 徳一廟 磐梯神社 恵日寺案内板
恵日寺 徳一廟 磐梯神社 恵日寺案内板


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