2002/01/14


会津の歴代藩主


歴代の会津藩主と支配時期の一覧です。

芦名時代文治5年(1189)〜 天正17年(1589)
初代 (佐原)義連 → 2代 盛連 → 3代 光盛 → 4代 泰盛
 → 5代 盛宗 → 6代 盛員 → 7代 直盛 → 8代 詮盛
 → 9代 盛政 → 10代 盛久 → 11代 盛信 → 12代 盛詮
 → 13代 盛高 → 14代 盛滋 → 15代 盛舜 → 16代 盛代
 → 17代 盛與 → 18代(二階堂)盛隆 → 19代 亀王丸
 → 20代(佐竹)義広
伊達時代天正17年(1589)〜 天正18年(1590)
伊達政宗
蒲生・上杉・蒲生時代天正18年(1590)〜 寛永4年(1627)
     うじさと        ひでゆき
蒲生氏郷 → 蒲生秀行 → 上杉景勝
  92万石      120万石
         ひでゆき        たださと
 → 蒲生秀行 → 蒲生忠郷
     60万石
加藤時代寛永4年(1627)〜 寛永20年(1643)
    よしあき        よしなり
加藤嘉明 → 加藤成明
  42万石
松平時代寛永20年(1643)〜 慶応4年(1868)
            まさゆき       まさつね              まさかた
初代 (保科)正之 → 2代 正経 → 3代 (松平)正容
   23万石
        かたさだ        かたのぶ       かたおき       かたひろ
 → 4代 容貞 → 5代 容頌 → 6代 容住 → 7代 容衆
         かたたか       かたもり
 → 8代 容敬 → 9代 容保


天下の名城 鶴ヶ城

 室町時代の至徳元年(1384)、葦名直盛が最初に築いて黒川城と称したのが鶴ヶ城の前身で、天守閣は、天正18年(1590)蒲生氏郷が入部して七重の天守閣を建てたのに始まり、のち寛永16年(1639)加藤嘉明の子成明が城地の大改修を行った。
 加藤氏はオランダ人を設計者として招いたといわれ、その際、北・西の両出丸が増築され、天守閣の上層2層も取り払われて、五重の天守閣にしたといわれている。このため、蒲生氏時代より規模は小さくなったが、東北地方最大の天守閣には変わりはなく、九州の熊本城天守閣とともに、雄大な威容を誇る名天守閣として広く知られていた。戊辰戦争では、蒲生氏郷が築き、加藤成明が改修した鶴ヶ城はさすがに名城、1ヶ月にも及ぶ戦闘にも耐えつづけたが藩主容保は降伏を決意する。
 開城した後も、暫くは蜂の巣のように打ち込まれた弾痕をとどめた天守閣が放置されていたが、明治7年、天守閣をはじめとする建物等一切が取り払われ、400年以上も続いた天下の名城は消え去ってしまった。
 現在の天守閣は、会津の精神的支柱として再建の声が内外からあがったため、昭和40年9月、約1億5千万円の巨費を投じて再建されたものである。

城内鐘撞堂 鶴ヶ城天守閣 干飯櫓
城内鐘撞堂 鶴ヶ城天守閣 干飯櫓
戊辰戦争直後の鶴ヶ城(走り長屋より) 戊辰戦争直後の鶴ヶ城(帯郭より) 弾痕生々しい鶴ヶ城
戊辰戦争直後の鶴ヶ城(走り長屋より) 戊辰戦争直後の鶴ヶ城(帯郭より) 弾痕生々しい鶴ヶ城


季節によって、さまざまな姿を見せる鶴ヶ城
冬の鶴ヶ城 春爛漫の鶴ヶ城
冬の鶴ヶ城 春の鶴ヶ城
夏の鶴ヶ城 秋の鶴ヶ城
夏の鶴ヶ城 秋の鶴ヶ城


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